【書評】田辺聖子『泣き上戸の天女』
••自分では別に変人だと思わないが、偏食家なのと同様に、人間の好き嫌いが烈しい。•••若いうちは相応に、会社の女の子にももてたのだ。•••しかし女の子を喜ばせるようなこともできず、言葉の飴を舐らせるのも不得手、という野中は、女の子おのつきあいが長つづきしない。そのうち、どんどん女の子に気むずかしくなってしまう。
あっという間に30になり、前頭が禿げてきた。•••偏食のおかげで野中は若い時から痩せている。それで顔にはシワができ、実際以上に老けてみえ、いよいよ若い女の子は寄りつかなくなった。(まだ独身やて。ヒェッ)などといわれる。
野中はただ、現代の若い女のエゴむきだし、あるいは露骨な結婚願望がイヤなのである。
自分ではことさら理不尽な高望みをしたつもりはないのに、またたく間に30代も過ぎてしまった。
そんな野中は、あるバーで同い年だ、というトモエという女に会う。次第に野中はトモエの媚の売らないざっくばらんで、しかも可愛らしい笑顔と愛嬌をも持ち合わせる性格に惹かれていく。
そして、ついには同棲生活を始め1年ほどがたち、野中は正式に籍を入れようと提案するがトモエは気乗りせず...
なぜなら彼女には隠していたことがあってー..
【書評】
田辺聖子さん。大阪生まれなんですね。
大阪弁が柔らかくて、会話を近くで聞いてるようで楽しかった。
ところどころに『柔和』という形容詞が入ってて、あぁ、谷崎潤一郎の小説にも確かあったなぁ、と思い出した。
谷崎潤一郎『卍』でも大阪を舞台に大阪弁であわただしく会話が展開していくのですが、
どこか福井弁がまじっていて、私の母が福井出身で少し聞き慣れているというのもあり、『多分そこまで精密な大阪弁じゃないんだろうなぁ』とは思ったのですが、
この作品を読んで『おそらくこれが正真正銘の大阪弁なのかもしれないな』と思いました。
まず、ただの恋愛小説だけにとどまらないのが面白い。
というのも主人公の設定がまず面白い。
『どうも納得がいかないな』『苦手だな』という気持ちをもって、理想も高くはないはずなのに、あっという間に40代に。頭が禿げてしまう描写もなんだかすこし笑える。(失礼)
でも、おそらく、何かに納得がいかなかったり、関わりを避ければ、きっとなんとなくで、あっという間に時間は過ぎるのだろうな、と思った。
何かに対してやりもせずに『これは◯◯だ』と自分の考えだけで終わらせるのは、あまりにももったいないなと。
確かに頭で考えることって動かないで済むから楽な訳なのですが。それに、自尊心とかプライドとか、見栄とか、『私だけは他と違うわ』みたいなのをを抱いて結局何もやらないのって、めちゃくちゃ格好悪いな。と思いました。
いや、正直に申し上げますと、学生時代はもろ、そういう人間でして。どんな場所に行っても半歩下がって傍観にてっする、みたいな。
それって馬鹿だよなぁ〜と、なんか、読んで、疑似体験をしてみて、思いました。