ultraseamless’s diary

読んだ本の感想を書いたり、日々のことをつらつらと。

ひとに偉そうなことを言えるご身分じゃないなぁと思った

あるひとのTwitterのウォールに
うらみます
と書いてあった

何それこわっ。えっ、こいつ、こわっ。
狂気じみてね?こわっ。

と瞬時に思った。

でも十五分後くらいに
ふと『うらむ』の意味を調べたら、
あれ?これ自分の中でも、よく暴走する感情ではないか!と発見した。

私は怒りっぽい性格だと思っているのだが、相手の挨拶の仕方や目配せ、振る舞いなど全て記憶し、その様が自分の望んでいる対応と違うものだと、その結果を胸の内で何度も反芻し、うらみとなって心をかき乱すのである。

そして、そのねじくれた相手へのイメージは、会話をすることで訂正されることが多々ある。つまり、自分の中で相手の悪いイメージが肥大化し、それに対して憤るということをしてしまうのである。

そんなわけで、私は、『うらみます』
の言葉を見た瞬間ドン引きし嫌悪し、普通の人間ではないと線引きをした訳であるが、
冷静に考えて、自分の中にも人をうらむ感情は大きく肥大化しており、人のことを『狂ってる』『危ない人』と言い切れるほど線引きをできるほど遠くの人ではない、と感じた。

自分にだって、
『あの人の今の態度めちゃくちゃ悪かった。きっと私のこと避けようとしてたんだ。私がダサいからだ。むかつく!むかつくむかつく!もうあの人とは絶対目を合わせない!』
とか、ね。

憎しみを持ち続ける感じ。
自分にもあるじゃんね、という。

こーいうのは多分他にも言えて、
『あいつの⚪︎⚪︎なとこ許せない』とか、自分そっちのけで、批判をしたくなる。

多分していい。
でも、自分のことを思い出すと、人のことをとやかく言えるほどの、もんか?って体験があると思う。

自分だって、人をうらんだ経験がある、とか、うまく人と意思疎通できなくてドン引きされたことがある、とか
とにかく、目も当てられないような恥ずかしい体験だってある。

そう思うと、
偉そうに『あいつってAだな!』
みたいに、さも常識人のように断定して言える身じゃないな!と感じるのである。


うらむ、という言葉で自分の感情を認知できてよかった思う。そのひとには、感謝です。

もし、うらむ、ということに無自覚で、
その感情自体が無い事にされてたら、
多分、
後ろに後ろに、しかも悪い方向に向かっていってたと思うから。

ありがたいありがたい。
私の内に、渦巻く黒いモヤを『うらみ』と名付けた。

可笑しいものだ。そのうらみは、本人から逃げようとせずに、接することで、誤解だったと気付けると入社2日目に知ったというのに。

そうだったんだな。私のよくする失敗は、うらみが暴走して事実から離れてしまうということだったんだ。

言葉は気持ちに輪郭を与えて、ヒントを与えてくれる。

ありがたいありがたい。

深夜のひとりごと。


Goo辞書より『うらむ』
  1.  ひどい仕打ちをした相手を憎く思う気持ちをもちつづける。「冷たい態度を―・む」
  1.  自分の思うようにならない状況に不満や悲しみを持ちつづける。「世の中を―・む」

 (憾む)望みどおりにならず、残念に思う。「機会を逸したことが―・まれる」