【書評】志賀直哉『好人物の夫婦』
『きっとそんな事を仕ようというんじゃないよ。仕ないかも知れない。そんなら多分しない。なるべくそうする。ーしかし必ずしも仕なくないかも知れない。』
そんなことを言ってはぐらかす。それに対し妻はさらに、嫉妬を烈しくしていく。
そんな様子を見て、夫はなんだか嫌になって取り消すことにした。
その後、妻の祖母の具合が悪いという旨の手紙が来て、しばらく妻は祖母の家へとお見舞いをしにいくことにした。
春になった。女中部屋からつわりで吐いている音がして、女中の滝が妊娠していることに気付く。
かつてプレイボーイだった夫は、真っ先に疑われるだろうことを思う。なぜなら、妻には女性との関わりで自制がきかなかったり浮気心で行為におよんでしまうかもしれないことを打ち明けていたからだ。
しかし、実際には、滝に対する淡い欲情があったにはあったが、家庭を壊してまで関係に及びたいという思いもなかったことから、事実、滝の子とは何も関係がなかった。
そのことを打ち明けると、妻はずっと、夫との間にできた子なのではないかと心配でならなかったという。
そうして、滝に対して、できることをしてあげようと妻は提案する。
そうして話は終わる。
【書評】
ううむ。女中さん。
女中さんって一体なんなんだ?
お給料ってどれくらい?
何者?という。
ちょっとこれまた追記できたら追記のときに。(Am1:35)眠いので寝ます..
近世
近世の日本では、
に住み込みの形で雇用され、接客や炊事などを行う女性の事を女中と呼んだ。特に接客や、雇用者夫妻の身の回りの世話に関わる女性が上女中(かみじょちゅう)と呼ばれ、炊事や掃除などを行い、水回りを担当する下女中(しもじょちゅう、あるいは下女)とは明確に区別された。上女中は下女中よりも上級の職であり、待遇が全く異なっていた。下女は一般的に上使い、仲働き、端下などと分類され、出自によって職制に違いが見られた。
商家や上層農家の娘などが、本家や豪商のもとへ数年間奉公に出る際に、上女中として仕える習わし(行儀見習い)があり、結婚前の女性に対する礼儀作法や家事の見習いという位置づけがなされていた。
雇用者夫妻の身の回りの世話をはじめ、外出のお伴、子弟の養育、仏壇回りや上座敷の掃除などを担い、使いに出る際、帰宅した際には雇用者夫妻に口上を述べた。また、雇用者宅を訪ねる客人への接待を通じて、物言いや挨拶の仕方を会得しつつ、人物を見る目を養ったとされる。並行して、裁縫、生け花、お茶などの女性としてのたしなみを身につけた。
上女中を経験した女性の多くは、武家や商家の妻に納まっている。
当時の日本では身分制度が確立されていた
ために、女中と雇用者夫妻との間には単なる契約関係を越えた主従関係も見られた。安政3年(1856年)に制定された、外村与左衛門家の家訓『作法記』によると、「本家、上女中在留分、別宅の娘を召仕え申すべきこと、但し、納まり方も別家の内を見立て差配いたすべきこと」(本家では別家の娘を上女中として採用し、上女中を経た娘の嫁ぎ先は他の別家から世話するように)という記述があり、雇用者夫妻がその後の縁を取り持つこともあったとみられる。
江戸中期には江戸の町人階級の経済的発展により、近郊農村出身の女性を雇い入れる地盤が出来上がっていた。下男、下女ともに、請け宿(口入れ屋、他人宿とも)の仲介で、毎年三月四日の「出替りの日」に奉公先に就職した。奉公の条件は三食付き、着衣貸与で年に2両ほどの給金であった。1年契約の年季奉公であったが、働きが真面目であったり主人のお気に入りになったりすると、次の年も引き続いて奉公することがあり、「重年(ちょうねん)」や「居なり」と言った。
..なぜか引用の枠が外れないのでこのまま書きますが。
女中さんは、商家やけっこう土地を持ってるお金持ちな農家さんにとっての、花嫁修業の場であったんですね〜。
イメージだと、一生、その家に住んで奉公するのかと思ってました。
そして、身分制度がはっきり分かれてたという事実に、えっ!( ゚д゚)という感じでした。
いや、確かにならいましたよね。士農工商、とか。いやでも、久しぶりに歴史を調べて(というかwiki)、平平凡凡な日々を送ってたなかでいきなり『身分制度があった』て過去の事実を思い出して、ちょっと驚きました。『そっかーー、、そんなこともあったんだよねー、、、』という。
いやー、私日本史全然覚えてないんですよね(^◇^;)知りたい知りたいと思いつつ、古事記からの縄文時代で終わってマス(^◇^;)
これはいかんですよね...
【書評】
シンプルなお話だったような気が。
ほっこりする結末といいますか。
浮気性な夫を妻が心配して、でも夫にはいつのまにか家庭を大切にしたいという思いが芽生えてた。良かったわ、、みたいな。
そんな簡単な言葉で片付けてはいけないのかしらん(´Д` )?
途中妻が実家に帰って祖母のお見舞いをしに家をあける、というシーンは少しドキドしました。
『お滝と何かありそうだな』
と思ったわけですが(´Д` )何もなかったのか..という。男と女はいとも簡単に繋がる、それは世の常な話、みたいなイメージがあったので、さて一体どんなことが起きる?!?!とか思ってたのですが。お滝とは何もなく、そして夫婦は愛を確かめる、ような。『えっ、あっ、そういうおわりかたなの?なんか恐ろしいものがあるんじゃないの?』みたいに、呆気にとられてしまったような(´Д` )その場の雰囲気に流されて、女二人でかけおちをしたり自殺をはかったり、はたまた女を仏のように拝んで毎日睡眠薬を飲まされたり。この、アブノーマルな世界に浸りすぎ?て、『えっ、てっきりお滝との密通が妻にばれて、とんでもない嫉妬のもとに、夫を殺すとか、衝撃的な爆弾が結末にある、、んじゃないの?!あれっ、愛を確かめあって終わったぞ』という。いや〜〜。本は考え方にもろに影響受けるのですね〜。今回思いました。色んな本を読むのがいいな、と思います。