ultraseamless’s diary

読んだ本の感想を書いたり、日々のことをつらつらと。

【書評】樋口一葉『にごりえ』

こんにちは!ultraseamlessssssssssです。
無事に第一志望の?企業に履歴書などを送り終わり、残り二つの応募書類の志望動機をチェックしてもらいつつ..ひたすら書類を送る今日この頃ですが
いかがお過ごしでしょうか。

さて、樋口一葉さんの『にごりえ』を読みました。ので書評してみたいと思います。

以下、樋口一葉著『にごりえたけくらべ新潮文庫,1949年発行〈2008年に増刷〉

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樋口一葉:東京生まれ。本名奈津。
1886年中島歌子の萩の舎塾に入門。'89年父の死で一家を担うことになり、姉弟子三宅花圃に刺激されて小説で生計を得ることを志す。'91年半井桃水に師事。貧困の中、'94年の『大つごもり』以降独創的境地を開き、『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』等で文壇に絶賛される。数え年25歳で結核に倒れた。

〈登場人物〉

妻と子を持つ、源七

妻の、お初

源七とお初の子供、太吉

銘酒屋の看板娘の、お力

道楽者の、結城朝之助


〈あらすじ〉(ちょっと分からない古語とかがあって推測しいしい解釈してます。なので、ちょっと間違ってる可能性ありです(−_−;))

源七は、仕事もせず家にいる。妻は働きに出ているが儲けもそこまでなく、極貧の生活を送っている。

にもかかわらず、夫の源七は働きもせず、フラフラとお力のことを考えている。

当のお力は、自分の仕事に縛られた生活や手ごたえのないような感覚のまま、日々接客をする生活に一種の諦めを感じながら過ごしていた。

そこで、道楽者の結城朝之助がでてくる。お力に興味を抱くが、中々心は開かれない。

あるひ、お力は日常がなんとなくいやになり店を飛び出す。

お力は一散に家を出て、行かれる物ならこのままに空天竺の果までも行ってしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心のぼうっとして物思ひのない処へ行かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止まれているのかしら、これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かかって•••


しかし、そこに結城が現れ引き止め、その後お力は自分の父母のこと、張り詰めた幼少期の思い出などを語り始める。

一方、源七の妻、お初の気持ちに焦点が当てられる。

子には十分な食事も服もあげられず、周りの家からも距離を置かれる淋しさと、不満が募っていた。

そして、お力のことにうつつを抜かし家族の気持ちを考えない夫に愛想が尽き、家を子を連れて出て行く。

そして残された源七は、とんでもない行動に出てしまう…


【書評】

はじめましてな、樋口一葉さん。

5000円札のお方。

読む前は、なーんか、古い話だから展開も遅かったりつまんなかったりするんじゃない?

と思ったのですが、とんでもない。

ガヤガヤとした当時の町並みや、接客のために通り過ぎる人にワイワイと声をかける情景が浮かんで、『あぁ、目に浮かぶなぁ』と思いつつ

(精密な服や建物とかは、正確にイメージしきれてないとは思うのですが。)

あ、昔の人も、現代の人と変わらず、似たようなことに悩んだりしたんだな。と思いました。

愛人にうつつを抜かす夫に怒る妻の言葉、リズムも良くて、声に出して読んでたら楽しかったです(笑)

源七とお初の子供、太吉に、たまたま会ったお力にお菓子を買ってもらったことをお初が聞いて、怒りが爆発したり。

お前の衣類のなくなつたのも、お前の家のなくなつたも皆あの鬼めがした仕事、喰ひついても飽き足らぬ悪魔にお菓子を貰つた喰べても能いかと聞くだけが情ない、汚いむさいこんな菓子、家へ置くのも腹がたつ、捨ててしまいな、捨ておしまい、お前は惜しくて捨てられないか、馬鹿野郎めと罵りながら袋をつかんで裏の空地へ投出せば、紙は破れて転び出る菓子の、竹のあらがき打こえて溝の中にも落込むめり•••

お菓子を投げると、それを見てた源七は、自分への怒りの代わりに子へ当たるのはやめろと叫ぶ。それほどまでに、今の暮らしが嫌なら離縁してやると言うが、妻は引き止めます

お初は口惜しく悲しく情なく、口も利かれぬほど込上ぐる涕(なみだ)を呑込んで、これは私が悪う御座んした、堪忍をして下され、お力が親切で志してくれたものを捨てしまつては重々悪う御座いました、成程お力を鬼といふたから私は魔王で御座んせう、モウいひませぬ、モウいひませぬ、決してお力の事につきてこの後とやかく言ひませず、蔭の噂はしますまい故離縁だけは堪忍して下され、

と訴えるが、ツンとして話も聞かない様子の夫をみて••

これほど邪慳(じゃけん)の人ではなかりしをと女房あきれて、女に魂を奪はるればこれほどまで浅ましくなる物か、女房が歎きは更なり、遂ひには可愛(かわゆ)き子をも餓へ死させるかも知れぬ人、今詫びたからとて甲斐はなしと覚悟して•••

お初は家を出ることを選びました。

そして太吉は母についていくと言い、

そんなら母さんの行く処へ何処へも一処に行く気かへ、ああ行くともとて何とも思はぬ様子に、お前さんお聞きか、太吉は私につくといひまする、男の子なればお前も欲しからうけれどこの子はお前の手には置かれぬ、何処までも私が貰つて連れて行きます、よう御座んすか貰ひまするといふに、勝手にしろ、子も何も入らぬ、連れて行きたくば何処へでも連れて行け、家も道具も何も入らぬ、どうなりともしろとて寝転びひまま振り向んともせぬに、何の家も道具も無い癖に勝手にしろもないもの、これから身一つになつて仕たいままの道楽なり何なりお尽しなされ、もういくらこの子を欲しいと言つても返す事は御座んせぬぞ、返しはしませぬぞと念を押して••

家を出るために、ざざざと支度をし、、お初は最期にこんなことを尋ねます

たとへどのやうな貧苦の中でも二人双子(そろ)つて育てる子は長者の暮らしといひまする、別れれば片親、何につけても不憫なはこの子とお思ひなさらぬか、ああ、腸(はらわた)が腐た人は子の可愛さも分りはしますまい、もうお別れ申ますと風呂敷さげて表へ出づれば、早くゆけゆけと呼かへしてはくれざりし。

そしてついには、お初と太吉は出て行ってしまう、、。


いやぁ、、。

妻の捨て台詞と怒りの台詞が心地よい。

心地よいのです。

ぐーたらして、フラフラしてる夫にガッと怒る。そのリズムの良さと、厳選された言葉に、グッとくる心地よさがあるのです。(わたしてきに)

実際の生活はかなり困窮していて、夫がフラフラしていってしまったから、家族は満足に生活もできず、周りの家からも冷めた対応をされ、、。

そんな切迫つまった状況の中、生まれる言葉は重くて現実的で、悲しくて。

ずっと同じことを胸にとどめながら、夫と子のために、働きにでるお初の言葉。

重いはずの言葉が、韻をふんでたりリズムのいい文体に、なぜか軽快にストンストンと読めて読みづらくない。

一葉先生、すごいな!


日本語の楽しさ面白さと、一葉先生の言葉のチョイスに衝撃を受けました。


おすすめの一冊です!