ultraseamless’s diary

読んだ本の感想を書いたり、日々のことをつらつらと。

谷崎潤一郎の、プロフィールと立場

こんにちは、ultraseamlessです。

今日は何日かかけて(正確にいうと読むのが遅いので、何日もかかった)読んでた、谷崎潤一郎の『卍』を読み終えましたので、その書評したいと思います。

さて、ではまず谷崎潤一郎とは誰か。
以下、稲賀•竹盛•森野監修『新訂総合国語便覧』第一学習社出版、2008年
より一部引用
谷崎潤一郎:1886-1965,《反自然主義耽美派
1886年、東京に生まれる。『刺青』『麒麟』『少年』などが永井荷風によって推賞されて文壇に登場した。荷風と同じく耽美的傾向を持つが、荷風とは異なり、女性美の病的な官能を追求するという態度をとり、時に悪魔主義と呼ばれた。こうした態度は『悪魔』『痴人の愛』のような代表作によく表されている。千代子夫人を友人の佐藤春夫に譲る事件のころから、古典美への傾斜が見られるようになる。『𠮷野葛』『盲目物語』『春琴抄』などである。『源氏物語』の現代語訳や、大作『細雪』など、死の直前まで旺盛な筆力を示した。

反自然主義耽美派の立場とは

さて、反自然主義耽美派の立場であったとされる谷崎潤一郎。その立場はどのようなものだったのでしょう。

そもそも、自然主義というのは、明治40年前後にでてきた運動で、フランスを中心に起こった自然科学的な文学手法に(って何かよく分かってないのですが(・ω・))影響されたものです。

主な代表的なのは、永井荷風の『地獄の花』や小杉天外の『はやり唄』で示されたとのこと。

また、自然主義文学の方向を決定した作品といわれるのは、島崎藤村の『破戒』と田山花袋の『蒲団』。

蒲団では、自分が体験した中で、自分のずる賢さや下心などを全て吐露してしまう、実話を元に書かれたものでした。

そのように、感情面での吐露が作品の中の主なストーリーを占めていたので、以下のような批判が指摘されました。

現実を見つめる基盤となるはずの社会性•実証性が十分でなく、いたずらに人生の醜悪な面を描いたり、自分の個人的体験をこまごまと報告するようは傾向に陥りがちであった。(『新訂総合国語便覧』p236)

その結果、自然主義に対して批判的な立場をとる文学者が出てきて、それは

  1. 高踏派•余裕派
  2. 耽美派
  3. 白樺派人道主義
に割り振られ、

高踏派•余裕派というのは、
和•漢•洋にまたがる深い学識をそなえ、時流にとらわれない独自の主知的•倫理的な作風を守った。
夏目漱石森鴎外の二人がそれである。
、、ふむぅ。個人的な悩みや密やかなおもいを吐露することよりも、客観的な事実や歴史や自分の中のルールや哲学をしっかり持って書く!というのが高踏派のことなのでしょうか。

夏目漱石森鴎外の本はそこまで読んだことがないので、想像どまりなのですがσ(^_^;)


そして次に、耽美派というのは、
感覚を解放し、官能的な美を追求して、新しいロマンを作り出そうとした。「三田文学」や「スバル」などがその中心であった。

永井荷風谷崎潤一郎など。

谷崎潤一郎:非日常的な幻想美に満ちた『刺青』『麒麟』などで、悪魔主義ともよばれた。

同じ反自然主義の立場の中であっても、ガラッと変わりますね〜。(・Д・)

白樺派は、

雑誌「白樺」の同人が、個性を尊重し、自我を主張し、生命の想像力をうたい上げようとする、新しい理想主義を追求した。
武者小路実篤白樺の中心的存在で、東洋風こ楽天的な人生肯定の生き方を『お目出たき人』『友情』などで描いた。志賀直哉清兵衛と瓢箪』『城の崎にて』『和解』、有島武郎、社会との対決の中で、自己に誠実に生きることを追求した。『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』、里見弴は、「まごころ」を作品の主題とした。『多情仏心』などがある。、長与善郎は、誇りに満ちた自我の確率を賛美した。『青銅の基督

、、という位置づけだそうです。


こういう位置づけですけど、そこまで私自身『あぁ、あの書き方はこの立場になるんだな』という風にイメージできるほど、各々の立場ごとの本を読めてないので、分かりやすく違いをいまいち説明できないのですがσ(^_^;)

今のところは、とりあえず谷崎潤一郎が、反自然主義のなかでも耽美派の立場をとっていたことだけ記しておければと思うので堪忍してくださいm(._.)m